2013-08-22

2013年 夏の帰省




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昔 むかし
この付近に 戸倉村と十三浜村という二つの村がありました。
 
この二つの村が村境をめぐって争っていたとき、
浜辺に巨大なクジラが打ち上げられました。
 
両方の村とも このクジラの所有権を争いましたが、
決着がつかず、翌日に持ち越すことになりました。
 
ところがその晩、
岬のあたりから轟音が聞こえ驚いた村人は駆けつけてみると、
岬の大岩が2つに割れていました。
 
両村の村人達は、
「これぞ神の裁き」と思い、神の決めたこの場所を村境にし、争いも解決したそうです。
 
 
 
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お金や 利権ばかりを 求めて争っていたら
いつか 日本国も まっぷたつにされちゃうんじゃないかな、
なんて 心配になる



お金でも ものでも なんでも
シェアしてー分け合えば  円満に解決しちゃうのにね



単純すぎる?


いや、

わたしは  おなじ意識を持った仲間とだったら、
本当に そんなことが  “”  として 当たり前にある 
村、コミュニティ をつくっていけると 思うの 
 
 
 
 
 
国家は あてにできない

地方の それぞれのちいさな町、部落単位でいい、
そこで つながって、強くなっていかないと
これからは 生き残っていけない気がするんだ




 

 
 



お盆は帰省をせず、
少し時期をずらして 先月7月の末に故郷へ帰ってきました


というのも、
地元で まつりの祭り というイベントがあったからなのですが (笑)





ちょうど、父の設計事務所の完成会もかさなり、
地元の親戚たちを呼んで
 お寿司と母の料理と、それぞれに持ち寄った一品料理で
乾杯!

ささやかながらではありますが
できたての事務所にて お祝いをしました
 
 
 
 
窓からは
見えるはずのなかった太平洋が一望できた
 
美しくもあり、なんだか 切なくもあり
 
 
 
80歳になった 及川のおんちゃんは
津波で お店と家をすべて流されてしまったものの、
今 住んでいる場所で 床屋さんを再開したらしい
 
 
父も お祝いがてら
無い髪で さっそく散髪にいっていました
(失礼!)


すごいねぇ、
挑戦しつづける人は いくつになってもかっこいいよ
 
 
 
 
ちょうど 選挙後ということもあってか
おじさんたちと あの政党はどう、とか あーだ、こーだ、話したのも 楽しかったな
 
 
わたしもそれだけ 目線が近づいてきたってことでしょうか

 
父と母が 三宅さんに一票を入れたという話になって
「やっぱり 親だな~(笑)!」
、と みんなに笑われていた
 
 
うふふ
 
 
 
 
 
 
 

PCがウイルスで壊れてしまい、
しばらくネットのない生活をしていました
 
 
意外と 支障もなく生活できた反面、
どれくらいの時間を このネットに注いでいたのかということに気づいて 反省、、
 
 

自分の時間を もっと見つめなおそう
 
手をうごかそう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
i kin ye!!
 
 
 
 

 
 
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『島唄』

でいごの花が咲き
風を呼び 嵐が来た

(災厄を告げるという でいごの花が咲き、
(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した)

でいごが咲き乱れ
風を呼び 嵐が来た
繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう

(でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、
 寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された)

ウージぬ森で あなたと出会い
ウージぬ下で 千代にさよなら

(サトウキビ畑であなたと出会い
 (ガマ)鍾乳穴の防空壕で
 君が代にいう永久の御代との別れ)

島唄よ 風にのり
鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 
届けておくれ わたしぬ涙

(島唄よ 風にのり
 しびとの魂(鳥)と共に 海を渡れ
 島唄よ 風にのり 
 本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を)

でいごの花も散り
さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花

(でいごの花も散る1945.6.23に
 戦闘も終わり、宝より大切な命が散り、
 生き残っている者もあまりいない
 日常生活は、簡単に消え去った)

ウージぬ森で うたった友よ
ウージぬ下で 八千代ぬ別れ

(さとうきび畑で謡いあったあの人は
 防空壕の中で、戦闘によって死んだ)

島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
届けておくれ 私の愛を

(沖縄の思いよ、風に乗って
 魂と共に、海を越えて
 (あの人の居るニライ・カナイ=天国へ)
 島唄よ 風に乗り
 (ニライカナイへ)届けておくれ 私の愛を)

海よ
宇宙よ
神よ
いのちよ
このまま永遠に夕凪を

(海よ
 宇宙よ
 神よ(豊穣をもたらす)
 いのちよ(何物にも代え難い命という宝よ)
 このまま永遠に夕凪(平和)を(祈る))
 


 朝日新聞の 宮沢和史さんのコラムより 引用



『島唄』は、
本当はたった一人のおばあさんに
聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、
沖縄音楽にのめりこんでいたぼくは、
沖縄の『ひめゆり平和記念資料館』を初めて訪れた。

そこで『ひめゆり学徒隊』の
生き残りのおばあさんに出会い、
本土決戦を引き延ばすための
『捨て石』とされた激しい沖縄地上戦で
大勢の住民が犠牲になった事を知った。

捕虜になる事を恐れた
肉親同士が互いに殺し合う。

極限状況の話を聞くうちにぼくは、
そんな事実も知らずに生きてきた
無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟)の
中にいるような造りになっている。

このような場所で集団自決した
人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、
ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。

この対比を曲にして
おばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、
ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。

『ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら』

という下りだ。

『島唄』はレとラがない沖縄音階で作ったが、
この部分は本土で使われている音階に戻した。

2人は本土の犠牲になったのだから。

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